RUINA RELIGIONUM 対国家神道 (日本語)


本稿においては、宗教による支配から人類社会を解放する手段について考察します。

1.宗教とは何か?
以下に宗教に関する仮説を示します。

宗教とは、
「人間より上位の存在」に、発言を仮託することにより、
その存在を権威の後ろ盾にして、
人を支配する政治手法の一種です。
「人間より上位の存在」としては、祖霊、精霊、神、宇宙人などが利用されます。

さらに可能性として、宗教は人に「強迫性障害」を引き起こさせるのではないかと思われます。
この「強迫性障害」が、宗教という政治手法の武器となっているということも考えられます。

例えば、
>バラモン教の成立
>自然の破壊力のまえには、人間の意志と努力は全く無力のように感じられる。
>そこで大自然に対しては、人間の技術的な作為よりも、自然現象を支配するものと考えられる、神々の霊力に頼りたくなるのである。
>神々の恵みにすがるためには祭祀を行わなければならないと考えられ、したがって祭祀がきわめて重要視された。
>このように祭祀が盛んになると、司祭者の力が次第に増大していった。司祭者はヴェーダ聖典にそなわる力を持つ者(ブラフマーナ、バラモン)と呼ばれ、第一の身分・階級を形成した。
>バラモンたちは自らの特権を守るために祭祀を煩雑にし、これを独占した。王に対して祭祀を頻繁に行うよう奨励し、また、平民(ヴァイシャ)の家長に対しても、日常の宗教儀礼にバラモンを招くよう要請した。
>このようなバラモンを司祭者とする祭祀万能の宗教をバラモン教という。バラモンは祭祀を通じて神を動かし、自然現象をはじめすべてのことを思うように動かすことができると主張し、かつ、このような霊力は特殊な家系にのみ存在すると述べ、バラモン同士の婚姻規制を定め、内婚集団を作りあげていた。
(p.72-p.73より抜粋/スーパー世界史/謝世輝/講談社/ISBN4-06-254502-0)

国王がRoyal We でWeに仮託するのと同じです。
「人間より上位の存在」に仮託して発言を行うのが宗教といえます。

宗教の信者は、「人間より上位の存在」に従っていると信じているかもしれません。
しかし実際には、宗教の信者が従っている相手は、
「人間より上位の存在」に仮託して発言を行っている人間です。

例えば、加藤哲太郎氏の著書「私は貝になりたい」に以下のようなエピソードが掲載されています。
>中国語の少しわかった私は、あわれな少年の番がまわってきたとき、思わず前に出て「待ってください、八路ではない、罪がないといっています。待って下さい」と叫びましたが、命令を下したD中尉は、「(略)この処刑は中隊長殿から命ぜられた。命令は天皇陛下の命令だ。お前は命令がどんなものであるか知っているだろう。たとい間違っていても、命令は命令だ。ことの如何を問わず命令を守らなければ、戦争はできん。わかったか。わかったらひっこめ」と落ち着きはらっていうのでした。
(p.106-p.107/私は貝になりたい /加藤哲太郎/春秋社/ISBN4-393-44153-2C0095)

宗教の信者は、「人間より上位の存在」に仮託して発言を行っている人間に容易に従います。
これは、宗教を利用すれば、大衆を容易に操作できることを意味します。
チョロイな♪
宗教とは何と便利な道具であることでしょう。

まとめると、
宗教とは、
「人間より上位の存在」に、発言を仮託することにより、
その存在を権威の後ろ盾にして、
人を支配する政治手法の一種です。

以上が宗教に関する仮説となります。

2.宗教による支配から人類社会を解放する手段
以下に「宗教による支配から人類社会を解放する手段」に関する仮説を示します。

宗教による支配から人類社会を解放する目的には、
例えば、
(1)「人間より上位の存在」の権威を奪い取る。
(2)「人間より上位の存在」の権威を失墜させる。
これらの手段が考えられます。

なぜならば、宗教による支配の要は以下の点にあると考えられるためです。
>発言を「人間より上位の存在」に仮託する

(1)「人間より上位の存在」の権威を奪い取る。
指導者以外の人間が、「人間より上位の存在」に仮託して、発言を行う。
ということです。

宗教を利用して人を支配する政治体制においては、権威の独占が支配の鍵を握ると考えられます。
宗教における権威とは、「人間より上位の存在」の後ろ盾です。
「人間より上位の存在」の後ろ盾を武器とすることにより、宗教による支配体制が成り立っていると考えるのです。

しかし、武器というものは諸刃の剣です。
使用する者が変われば、矛先が逆に向くこともありえます。
要はハイジャックです。

STEP1:指導者以外の人間が、「人間より上位の存在」に仮託して、発言を行う。
STEP2:「人間より上位の存在」を後ろ盾とした指導者による権威の独占を打ち破る。
STEP3:宗教による支配体制を崩す。

こうして、宗教による支配体制の打倒を図ることが手段として考えられます。

(2)「人間より上位の存在」の権威を失墜させる。
「人間より上位の存在」の権威が失墜すれば、「人間より上位の存在」は権威の後ろ盾として役に立たなくなります。

こうして、宗教による支配体制の打倒を図ることが手段として考えられます。

まとめると、
(1)「人間より上位の存在」の権威を奪い取る。
(2)「人間より上位の存在」の権威を失墜させる。
これらが「宗教による支配から人類社会を解放する手段」として考えられます。

以上が「宗教による支配から人類社会を解放する手段」に関する仮説となります。

3.仮説の検証
以下でこの仮説の検証についての立案を行ってみたいと思います。

(1)今回検証を行う手段
>(1)「人間より上位の存在」の権威を奪い取る。
理由:
本手段にうってつけの実験台が存在する。

(2)実験台
靖国神社

理由:
(a)知名度が高い
終戦記念日には靖国参拝がニュースになることから、本手段の影響を検証しやすい。
(b)影響力が大きい
英霊を祀っており、日本人に対して馴染みが深く、影響力が大きいと考えられるため。

靖国神社のビジネスモデルは、英霊を利用した一種の祖霊信仰と看做すことが出来ます。
そこで本検証は、祖霊信仰による支配から人類社会を解放する手段についての検証となります。

(3)「人間より上位の存在」に仮託して行う発言のテーマ
大阪府における君が代起立斉唱強制問題
理由:
英霊と日の丸や君が代とは密接な関係があります。そこで、
英霊を利用すればこの問題に対して効果的に影響すると考えられるためです。

(4)「人間より上位の存在」に仮託して行う発言の試作品
仮説の検証のために、以下の試作品を組んで見ました。
以前、これをネットに投稿してみました。
日本国民の皆様
効果は出ていますでしょうか?

■■■■■■■■■ RUINA RELIGIONUM 対国家神道 ■■■■■■■■■
前門の虎 後門の狼
謝れ!

お国のために命を捧げてくだすった英霊の皆様に謝れ!

日の丸や君が代を強制する光景を見て、
お国のために命を捧げてくだはった英霊の皆様は一体なんと思いはるやろか?

明治維新や日清・日露戦争でお亡くなりにならはった英霊の皆様は何のために命を捧げはったと思っとんのんや?
>つらつら上海の形勢を観るに、支那人ことごとく外国人の便役たり。英、法(フランス)の人、街市を歩行するや、清人みな避けて道を譲る。まことに上海の地は支那に属すといへども、英仏の属地といふもまた可なり。
>わが邦人といへども、すべからく心せざるべからず。支那のことにあらざるなり。
>(高杉晋作著「上海掩留日録」より抜粋)
>(p.141/方法の革命=感性の解放<徳川の平和>の弁証法/いいだもも/社会評論社/)
このために命を捧げはったんやろ。

大東亜戦争でお亡くなりにならはった英霊の皆様は何のために命を捧げはった思っとんのんや?
>東亜解放
やろ!
>さて大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。
>(田母神俊雄著「日本は侵略国家であったのか」より抜粋)
>(http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf)
このために命を捧げはったんやろ。

それやのに、
植民地の方々に対して行ったのと同じようなことを、日本人に対して、日本人自身がやって、どないすんねん(笑)。
そんなん、外国に侵略されんのと、おんなじ事やんか?\(゜O、゜)ノ

英霊の皆様は、
>支那人ことごとく外国人の便役たり。
こんな境遇を無くすために戦いはったんやで!
便役の相手を選ぶために戦いはったんとちゃうで!
そこんとこ勘違いしてへんか?

恥ずかしいと思わへんのか!
もしも、お国のために命を捧げてくだすった英霊の皆様が現代の日本に歸國されはって、日本人が日の丸掲揚や君が代の起立斉唱を強制されている現状を御覧になられはったら、一体どない思いはるやろか?
日本の国のために命を捧げはった沖縄人をはじめとする日本人や朝鮮人や台湾人の英霊の皆様はどない思ってらっしゃるやろか?
恩知らず。

英霊の皆様の思いを踏みにじりやがって。なにやっとるんや!
お国のために尊い命を捧げてくだすった英霊の皆様に恥ずかしいと思わへんのか?
英霊の皆様に謝ったらんかい!

日の丸不掲揚や君が代不起立不斉唱を貫いとる諸君!
きっと英霊の皆様は諸君等をこんなん言うて応援してはると思いまっせ。
おきばんなはれo(^-^)o

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余談
本来、外国からの植民地支配から日本人を守るために生み出されたはずの大日本帝国が、
なぜ、大日本帝国が、治安維持法などにより、外国からの植民地支配と変わらないような振る舞いを日本人に対してするようになったのでしょうか?
私の想像ですが、これは自己免疫疾患のようなものなのではないかと思っています。
>自己免疫疾患 - Wikipedia
>自己免疫疾患(じこめんえきしっかん、英:Autoimmune disease)とは、異物を認識し排除するための役割を持つ免疫系が、自分自身の正常な細胞や組織に対してまで過剰に反応し攻撃を加えてしまうことで症状を来す疾患の総称。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/自己免疫疾患)

>免疫系の暴走 - 花粉対策特集2012 - 環境goo
>なぜ、IgGではなく、IgEが作られるのでしょうか? 確たる回答は出ていませんが、日常生活の無菌化により、IgG抗体の出番がなくなってしまったのも一因といわれています。IgG抗体が活性化していると、IgE抗体の活性は抑えられるというのです。
(http://eco.goo.ne.jp/life/health/kafun/chishiki/01_4.html)

大日本帝国は、日清戦争、日露戦争に勝利して、不平等条約の改正も成し遂げ、一等国の仲間入りを果たすることができました。
これにより、大日本帝国は、外国からの植民地支配に抵抗するという大きな目的を失ってしまいました。

このあたりの経緯から、大日本帝国の歴史は3つの時期に分けてみたほうがいいように思われます。
(1)明治期:外国による植民地支配と戦った時期
(2)大正期:一等国の仲間入りを果たして平和の配当を得た時期
(3)昭和期:国民弾圧と対外膨張に走った時期

これらの時期は以下のように理解できるのではないでしょうか?
(1)敵と戦うために、敵に対抗できるだけの戦力を蓄える。

(2)敵を失い、一度得た力を発揮する機会が無くなる。
戦力を発揮する機会が無ければ、技術の継承に滞りが生じ、戦力は失われる。
そうなれば、国際的な地位が危機にさらされる。
さらに、「まおゆう」(http://maouyusya2828.web.fc2.com/)の中でいみじくも言及されているように、一度戦時体制を前提として生み出された経済システムは、平和の配当により崩壊の危機にさらされる。

(3)経済システムの崩壊と、一度得た戦力を失うことを恐れて、新たに敵を作り出す。

落ち武者をイメージするとよいかもしれません。
敵を失った武装組織が、自己保存を目的として、自己の戦力を使用するようになった。
大日本帝国の辿った経緯は以上のように理解できるかもしれません。

ただ、このような経緯を辿るのは、国家に限らないかもしれません。
例えば、いわゆる犯罪組織。
例えば、三合会や、いわゆるマフィアは、本来は民衆を守る自警団と呼ぶべき組織だったようです。

>三合会 - Wikipedia
>その発生は清の時代、清朝による支配に抵抗すべく結成された反体制的結社を源流とするといわれている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%90%88%E4%BC%9A

また、かつてマフィアの一員だったトンマーゾ・ブシェッタ氏は書籍「さらばコーザ・ノストラ」で以下のとおり語っています。
>しかし、私が若かったころ唯一認められている国家とは、残念ながらわれわれのことだった。」
>だがほんのつい最近まで、公的権力はそれをしてくれなかった。もっと言えば、国家は金持ちしか保護しなかったのだ。貧乏人は、弁護士も国家も法律も自分たちの味方にすることができなかった。かれらを守ったのはコーザ・ノストラだった。しかも、自分たちの身分を明らかにすることもなく。
(p.22/さらばコーザ・ノストラ/ピーノ・アルラッキ/学習研究社/ISBN4-05-400431-8)

それが、やがて役割を終える時代になりました。
>国家正義は、コーザ・ノストラの旧き時代に比べてより<正しい>ものとなった。今日では、自分たちで身を守るとか、名誉の人に頼んで保護してもらうといった考えは意味をなさない。国家がそれをしてくれる。
(p.22/同上)

そして、現状については以下のとおり語っています。
>今日のコーザ・ノストラは道を誤っているばかりでなく、余計なものなのだ。もはやその仲介は必要とされていない。市民を守るのは、権利を認め義務を課す国家の役目だ。わたしが言っているのはまっとうな人間の国家のことで、マフィアと結託した堕落した国家のことではない。
(p.22/同上)

これは大日本帝国の辿った経緯と同じなのではないでしょうか?
大日本帝国のような経緯を辿るのは、国家に限らないのかもしれません。

さて、ここでひとつ疑問があります。
敵を提示してはどうでしょうか?

もしも、本来、民衆を守る目的で組織された自警団が、
敵を失ったことで、いわゆる犯罪組織になったのだとしたら、
逆に、民衆の敵を提示することにより、
本来の姿である、民衆を守る目的で組織された自警団に立ち戻る。
そういうことはあり得ないのでしょうか?

一か八かの賭けみたいなものですが。

Studies in Methodology for Tribalism
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/7659/smt.html

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